TRILOGトリログ

あの日、あの時、あの場所で。

2013.03.11

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今日はあの日、2011年3月11日からちょうど2年が経過したということで、たくさんのメディアやブログ、ソーシャルネットワークなどであの時のことが語られていると思いますし、私の目にも飛び込んできます。あの日を境に、日本は変わったともいえるし、変わってないともいえるような2年間でしたが、世の中がどうとか政治がどうとかいうことはできず、あの時を振り返るのは自分のことだけしかないなと思います。

そう、あの日、私はニューヨークにいました。私のビジネスの根幹ともいえるAppleのiPad 2が発売されたのがあの日、2011年3月11日だったのです。世界中で一番早く発売されて実機が手に入る場所に行くということでアメリカは東海岸に渡っていたのです。したがって地震自体もまったく経験していないですし、リアルタイムでは津波も目の当たりにしていませんでした。時差の関係もあり半日遅れでニュースを見ながら、どこか遠い国のドラマのようなイメージでいました。地震や津波のニュースはニューヨークでも繰り返し流されていましたし、私が日本人と分かると「大丈夫か?」と尋ねてきてくれる人も多くいました。

それでも、iPad 2を待つ長い行列の中でローミングしたiPhoneから流れてくる現実味のない重大ニュースを目で追いかけているだけでした。今思えば、とんでもないことですが、その時にはそんな悲惨な状況が起こることなど現実として受け止められなかったのです。

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それでも、段々と繰り返し繰り返し流されるニュースに段々と現実に引き戻されていきますが、ニューヨークの地でどうしようもありません。長い夜を越えてようやくiPad 2を手に入れて、まずは与えられたミッションをこなすことしかできないと思いました。現場である日本では、彼の地からの言葉など入り込む余地はなかったのです。

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たまたま運が良かったのか、震災の2日後の帰りの飛行機に乗ることができて、成田空港に降り立ちましたが、まだ空港のターミナルではあまり荒れていなかったということもあり、何度も何度もニュースは見ているのにもかかわらず本当の出来事なのかわかりませんでした。

しかし、電話は動いておらず、お店から食料などがなくなっているのを目の当たりにして、ようやく実感が湧いてきたのです。そして、その後の福島原発の事故をテレビで見ていると、日本はもうこのまま終わってしまうのではないかという絶望感に襲われました。

それでも、毎日を生きていかなければならず、立ち止まっていることはできませんでした。会社での立場からすれば、自分が意気消沈していてはいけませんし、そんなときだからこそ仕事に身を任せていくしかなかったのです。

日本を揺るがすほどの大きな出来事で、これを支えるのは日本人として、日本で営んでいる会社として当然と考えて義援金も思いつきで実行しました。今振り返れば、私たちの規模の会社でこの金額を寄付するというのは資本金よりも多いわけで、かなり冒険だったなと思いますが、心の中では役に立てることはこれくらいしかないと決めていましたし、全社員に相談した際にも「また稼げば良いんじゃないですか」と背中を押してくれましたので、突っ走ることができました。もちろん、今も後悔していません。遠く離れたJawboneも厚い支援をしてくれましたし、なにかそれまでとは違った、危機に一緒に立ち向かう光が見えたような気がしました。

それでも、1ヶ月が過ぎ、2ヶ月が過ぎようとしているとき、遠いところからお金だけ出して満足していてはいけないと思い始めていました。また、段々と報道の頻度も下がってきて、被災地ではどんな状況なのかが見えなくなってきたようにも感じていました。

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それまでの2ヶ月はほとんど何もできていなかったのですが、ゴールデンウィークに福島県南相馬市に行くことに決めました。現地がどんな状況かも分からず、正直、会社の車(アウディ)では現地の方々に反感を買うかもしれないと軽自動車をレンタルしていったというくらい変な配慮をして向かったのです。現地で食料などが買えると思っていなかったのでコンロや寝袋なども装備していきました。

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現地ではボランティアセンターで何か手伝えることはないか聞いて、近くの家の泥渫いを延々としていました。延々というのは終わりが見えないので、ずっと続くのではないかと感じたからです。こちらはまったく何の技術も無いので、ただ力だけを使って役に立つことということでした。それでも、被災された家の方と話をしたり、周りの状況を見ることで、その当時に報道やネットの情報などで見ていた「ボランティアがたくさん来すぎて困っている」などということがまったくあり得ないことだということはわかりましたし、私のように人工としてしか役に立たない人間が来たとしても、その事実について希望を感じるといってくださる方がたくさんいました。

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たった3日の滞在で、それで現地の何かを変えられたとは思いませんが、自分自身がその場で見たこと、聞いたことは生の声であって、ここあそこに流れている根拠のない情報とは違うものでした。それだけでも十分飛び込んだ甲斐はあったと思っています。

と、偉そうなことを書いていても、結局、それからはまた仕事に戻り、目の前を見ることに必死になるようになってしまいました。

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次にこの震災の現地を訪れたのは2011年も後半になった気仙沼でした。それまでは訪れたことのないところでしたがAUGM仲間の出身地だということもありつつ、被害が大きい地のひとつでしたので行ってみたいところでもありました。

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朝から夕方までの短い時間ではありますが、何かをお手伝いするというのではなく、見て、現状を心に刻んでくるというつもりでいきましたので、市内を見て回って話を聞くことだけの一日でした。すでに半年以上経っているのに、街はまだまだがれきすらも片付いていない場所があるというのを再認識させられました。段々と遠いところの出来事になってしまっていたので、ぐさりと心に刺さるものがあったのです。

それでも、街の方々が元気で、復興していこうという息吹が随所に感じられたのに、逆に勇気づけられた気仙沼でもありました。こちらからすると情けない状態なのですが、その時は必ずまた戻ってくると約束して気仙沼を後にしました。

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約束通り、再び気仙沼の地を訪れたのは昨年のAUGM気仙沼でした。時間が経ってしまって、2012年はほとんど何もしていないに等しい1年になってしまっていたので、正直焦っていました。役に立っていないどころか、見に行くこともしていない自分は、去年の気仙沼の約束を忘れていたわけではありませんが、忙しさと距離的なことを言い訳にしてしまっていたのです。これは今も同じで、どこかで離れていってしまうのです。

そして、再び市内を巡って、まだまだ復興とはほど遠い現実を見せられたのです。政治的な要素も多くあり、地元の方々がもがいてももがいても余計に絡まってしまうような複雑な糸が復興のスピードを遅らせていました。1年半もの月日が経っても、瓦礫はなくなったけれども人々が住んで、生きて、働く街には戻っていないのです。

それでもまた、若い方々の新しい決意と、力が存在していることも感じましたし、まだまだこれからではありますが、明るい明日もあるのではないかと感じました。

今日、この日も、朝から仕事でミーティングをしたり、資料を作ったり、海外とやり取りをしたり、倉庫で梱包の手伝いをするうちに日付が変わりそうでした。特別なあの日でも、2年後の今、立ち止まることができずにいます。せめて、昔の写真を引っ張り出して、あの日、あの時、あの場所のことを思い出してこのブログを書いたことくらいが、震災のことを忘れたわけではないよという、ささやかな表明です。

忘れないこと、また見に行くこと、これくらいしかできないのかもしれませんが、これからもずっと。

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このブログを書いたスタッフ

プレジデント

ほっしぃ

音楽からMacの道に入り、そのままApple周辺機器を販売する会社を起業。その後、オリジナルブランド「 Simplism 」や「NuAns」ブランドを立ち上げ、デザインプロダクトやデジタルガジェットなど「自分が欲しい格好良いもの」を求め続ける。最近は24時間365日のウェアラブルデバイス「24時間365日のウェアラブルデバイス|weara(ウェアラ)」に力を注いでいる。

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