- 10月
- 2024年11月
皆さん、こんにちは〜Shunです。
皆さんは普段日本の地図を見るとき、それぞれの地域名や場所について「なぜこの呼び方、この名前を付けただろうか?」という疑問などは頭の中にあったでしょうか?
京都市に「東寺」という場所があるのですが、なぜ「西寺」がないの? また、京都市の地図は、右側が「左京区」と書かれています。そして、逆に左側が「右京区」と書かれています。
千葉県の「九十九里浜」が400kmもないのに、「九十九里」と呼ばれているのはなぜ?
大江戸「八百八町」というからには、本当に808の町があった?
…というような疑問がたくさんあります。
実際、Shunは2013年に日本に来たので、日本の歴史についてあんまり勉強したことがないので、上記のような疑問がたくさんありました(笑)。
先日、本屋さんに行って、たくさん日本の歴史の本を買って、読んだら一部内容がわかってきました。
すでに知っている方もいると思いますが、Shunが勉強して、面白かったと思ったことをぜひ皆さんとシェアしたいと思います〜。
今日のテーマは千葉県にある「九十九里浜」海岸を、なぜ「九十九里浜」と呼ぶのかです。
千葉県の「九十九里浜」は日本一長い砂浜として知られています。「旭市の刑部岬」から「いすみ市の太東崎」まで、約66kmに渡って海岸が続きます。東京2020オリンピックを開催したとき、ここは「サーフィン競技会場」として使われていました。
ここでよく考えたら、大きな疑問が1つ浮かびます。日本で長さの単位として用いられていた「里」は、「1里=4km」になります。ここの「99里」を計算したら、この海岸の長さは約「400km」必要になります。
しかし、「九十九里浜」は66kmしかありません。計算してみたら、この海岸は「十六里浜」と呼べるじゃない?
すごく気になってて、ネットで色々調べて、本を見て、たくさん「諸説」を見つけました。
1つ目は「古代の度量衡の違いによって」発生したことです。
古代の測量では6町=1里になります。1町=約109mになるので、計算してみたら、6町=654mになります。そうすると、この海岸の1里は4kmではなく、654mになります。65499=64,746mになり、約65kmになります。
この計算結果を見たら、確かに「九十九里浜」の実数値に近くなりました。でも、でも、Shunは、この理由についてちょっと「あんまり信じることができない」と思います。エビデンスなど全然ないから…。
ここでもう1つ「伝説」があります。それは「鎌倉幕府の初代将軍が実測した」ことです。
鎌倉幕府の初代将軍「源頼朝氏」は「奥州藤原氏」を討伐した帰り道にこの海岸を通って、この海岸の長さに驚いて、弓矢で海岸を測ってみた。
計り方としては、100本の弓矢を用意し、6町=約654mを1里として、1里ごとに弓矢を立てていくというものです。1本、また1本と立てていくと、99本目で海岸が終わる。そこで「九十九里浜」と呼ぶようになったそうです。
実際、「源頼朝氏」が本当に測ったかについてエビデンスは何にもないから、もちろん、この伝説の真偽を判断することもできないと思います。
ただ、このようないくつかの「伝説」が分かると、「九十九里浜」についての認識もさらに面白く感じませんか〜?
ちなみに、Shunはこの「伝説」を知った後に、改めて「九十九里浜」に行ってみました。
日の出を見に行きました〜。
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このブログを書いたスタッフ
トップアシスタント
しゅん
中国の山東省出身。海の近くで生まれ育ったが、実は泳げない。2013年に留学で日本へ。日本に来てからスノーボードに出会い夢中に。四川風の辛い火鍋とショッピング、そして新しいものを発見したり深掘りすることも大好きで、常に刺激があることに挑戦している。観光バスの仕事を経て、縁あってトリニティに入社。毎日新しいことを吸収している。
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