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2019.12.14
最近、世田谷区立桜丘中学校の存在を知りました。校則がない学校ということで話題になり、物議を醸したりしているようです。なぜこの記事が気になったかというと、私自身、校則のない高校に通っていたことがあるからです。
今は少し方針が変わったようですが、もう20年以上前、私が通っていた学校法人盈進学園 東野高等学校は校則がありませんでした。その当時も、それで話題になりました。私立のあまり偏差値も高くない高校でしたが、私の人生に大きく影響を与えた高校でした。この桜丘中学校の校長が語っているように、校則がないと荒れるというのは固定観念だというのを身をもって体験しています。
若い頃には、自分が自分であることを示したいと常々思っていました。しかし、特に日本の場合には校則が厳しく、制服を着て、みんなが同じことをするというのが中学校、高校の一般的な学生の姿でした。そこでは、個性というものをいかに出さないようにするかというのが、学校側の方針だったように思います(実際と違うかもしれませんが、そう感じていました)。
そんな中で自分を表現するには、その「右へならえ」から抜け出す必要があったのです。人それぞれの方法はあったかと思いますが、それが校則を破る服装だったり、髪型だったりということがあります。私の学生時代は今では考えられないほどのいわゆる「不良」がいました。それは、みんな自分を表現したかったのです。そして、構って欲しかったのです(今思えばカワイイですね)。
校則のない高校に入ってみると、面白いことが起こります。1年生の頃はまだ中学校を引きずって金髪だったりパンチパーマだったりという学生がいます。しかし、それは特に何かに違反していることではないので、学校で誰かに注意されることもなく、そしてそれが普通になってしまうのです。そうすると、そういう部分では自分を出せなくなってくるわけです。
2年生になると、自然といわゆる不良っぽい人は見かけなくなってきます。そこで出す個性は、ルールから外れたことではなくなって、他のことで勝負をしなければいけなくなってくるのです。それは学業だったり、スポーツだったり、何か学園祭などで面白い企画をするなどです。
ルールはあるから破りたくなるものです。しかし、ルールがない場合には破ることができないので、そこには何も表現できることがないのです。
もちろん、一般社会ではこれは成り立たないとは思います。しかしながら、学校生活くらいだと校則で縛りすぎない方が、自分を表現することを「ルールを破る」以外に見つけなければいけなくなるのです。
いろんな人がいて、いろんな例があるので、一概に私の体験がすべての場合に当てはまるかは分かりませんが、私はそこで「ルールを破る」以外のことを見つけることができました。この体験が、後々にも生きていると思っています。
こういう取り組みの学校が公立の学校で存在しているということはとても面白いと感じましたし、これが何かの圧力でなくなってしまわないように願うばかりです。
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このブログを書いたスタッフ
プレジデント
ほっしぃ
音楽からMacの道に入り、そのままApple周辺機器を販売する会社を起業。その後、オリジナルブランド「Simplism」や「NuAns」ブランドを立ち上げ、デザインプロダクトやデジタルガジェットなど「自分が欲しい格好良いもの」を求め続ける。最近は「24時間365日のウェアラブルデバイス|weara(ウェアラ)」に力を注いでいる。
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