- 10月
- 2024年11月
初めての上海訪問、少し怖くもあり期待もありつつの旅でしたが、前回「一瞬、一巻の終わりかと思った出来事」を焦って機内から書きましたが、その後にも長いストーリーがあったのでそのつづきを書いてみたいと思います。
そもそも上海空港から出発する際に遅れた理由が、到着地である深圳空港周辺の天候が非常に悪いという話だったので、少し気にはなっていたのですが、到着する時間帯にはとても悪い状況に変わっていたのでしょう。飛行機は上空を旋回して少し時間を稼ぎつつも、2度ほど低空まで様子を見に行ったような感じでしたが、最終的には急上昇して雲の上まで上がっていったので諦めたのだな、と思いました。違う空港に目的地を変更するというアナウンスが結構遅かったので、この後にどうなるか心配な時間が長く、できればもっと早く教えてもらえれば乗客がざわざわしなくて済んだのかな、と思いました。ある乗客は客室乗務員を呼ぶボタンを連打していたりしました。
とはいえ、これはトラブルの序章でしかありませんでした。
前回のエントリーは何はともあれ目的地の深圳よりも南西に位置する海南島というところの三亜鳳凰空港に到着して、機内で待機しているところで書いています。その段階では、客室乗務員からはこの後にまた深圳に戻ると言っていたので、少し待つけれども戻るのだと思っていました。しかし、途中で飛行機のドアが開き、なんだかよく分からないうちに乗客が外に出始めたのです。ここらへんはなにやら話していましたが中国語だったために分からず、隣のシートの人が英語を喋れたので聞いてみると、今夜は戻ることができないということでした。
そして、乗客の流れるままに一緒に出ていくと、今度はゲート周辺で地上係員を囲んでなにやら紛糾しています。なんとなく見ていると、この後にどうするんだという話をしていて、係員側はよくわかっていないみたいでした。この係員も自分一人で決められることはないようでどこかに電話をしているようなのですが、なかなか情報が出てこないので乗客たちはヒートしていきます。少し後に、飛行機は翌日の7時半に出発することは確定して、同じゲートに戻ってくれば同じシートで乗って帰れるということでした。しかし、そのタイミングで時間は夜の10時過ぎ。その後のホテルについても機内では用意するという話だったのが、周辺のホテルがいっぱいでは入れないということで一向に先が見えません。
ここらへんも、私からすれば怒号の中から少しだけ聞き取れる中国語と近くの人に英語で聞く中でわかってきたことです。他にも欧米人もいたので中国語が分かるかと聞いたらみんなわからないというので、相当な不安だったでしょうね(私も相当不安でした)。私の場合にはさらには荷物も預けているので、それがどうなっているのかも聞きたいのですが、まだまだ取り囲まれていて個人的なことを聞ける状況ではありません。
そうこうしているうちに、回りで日本語が聞こえるので見てみると数名の日本人がおり、中国語もわかるという方がいたので少し安心しましたが、それでも状況がよくわからないということは変わりませんでした。取り囲んでいる中国人と同じ情報になったというだけで、朝までそこにいることも少し覚悟したくらいです。
最終的には夜中の12時くらいになってホテルが見つかったようで、バスでホテルに向かいました。海南島は中国有数のリゾート地ですから、ホテルもリゾートホテルばかりで宿泊客もアロハを着ていたりしてなんだかこちらは疲れ切ってなだれ込んだ団体なので場違いな感じです。しかも、部屋は2人で1部屋しか用意できないとか言われて、たまたま日本人の方とご一緒できて、しかもいろいろとお話を伺うことができたので良い出会いではあったのですが、待遇としてはかなり悪いと言わざるを得ません。
部屋に入ってシャワーを浴びて寝始めたのがおおよそ2時くらい。4時半にけたたましい内線電話と共に起こされて、しかも4時50分までにロビーに集合して空港に行くという話です。なんとなくそれくらいの時間かなと思っていたのでかなり準備してから寝たので良いとはいえ、普通だったら用意できる時間ではないですね。そして、焦ってロビーに下りていくも結局バスが来たのは5時半過ぎという素敵なアレンジ。
空港に到着したのがおおよそ6時くらいで、7時に搭乗開始ということだったのであんまり時間がない中でカウンターは長蛇の列という状況には怒るというよりも笑っちゃうくらいの気持ちになりました。
そしてそして、結局のところ7時半には飛ばず、9時過ぎに出発するというおまけも付いて、なんとか深圳空港まで辿り着きました。そうそう、機内から出て行くときに荷物の受け取りは4番カウンターでと言われたのに出てきたのは3番だったというおまけのおまけも付いていました。
そんなこんなで長い道のりを経て深圳に辿り着いたのでした。そしてそのままミーティングに入っていくわけです。
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このブログを書いたスタッフ
プレジデント
ほっしぃ
音楽からMacの道に入り、そのままApple周辺機器を販売する会社を起業。その後、オリジナルブランド「Simplism」や「NuAns」ブランドを立ち上げ、デザインプロダクトやデジタルガジェットなど「自分が欲しい格好良いもの」を求め続ける。最近は「24時間365日のウェアラブルデバイス|weara(ウェアラ)」に力を注いでいる。
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