- 9月
- 2024年10月
AI(Artificial Intelligence)、日本では人工知能と訳されている技術について、ここ最近はどこもかしこもAIというワードが散りばめられ、それが入れば何か得体は知れないけれどもものすごいものという印象があり、何かを期待されてくれるワードでもあります。
とりあえずWikipediaでAI(人工知能)のページを見てみると、下記のような記述が冒頭に書かれています。
人工知能(じんこうちのう、(英: artificial intelligence、AI)とは、「『計算(computation)』という概念と『コンピュータ(computer)』という道具を用いて『知能』を研究する計算機科学(computer science)の一分野」を指す語。「言語の理解や推論、問題解決などの知的行動を人間に代わってコンピューターに行わせる技術」、または、「計算機(コンピュータ)による知的な情報処理システムの設計や実現に関する研究分野」ともされる。
我々が想像するAIは映画や小説などで登場してくる、自分で物事考え、自分で創作し、自分で判断して行動するような「人のような見た目の何か、もしくはコンピューター」だったと思います。しかし、実際には現在はそういうAIは存在せず、上記のように「誰かがプログラムした計算」であるということです。つまり、そのプログラムを作ること自体はできないということです。
漠然とした疑問を抱えながら、マーケティング的にバズワードとして使われる「AI」について悶々としていたところ、下記のような記事を見つけたので通読してみると、現実が見えてきたように思います。私は作家森博嗣が好きで、それに通じるようなテイストがあるこの江端氏は面白い文章を書くのでファンになりました。
「この連載で、私は「人間と同じような知能を持った人工知能(AI)は存在しない」を、帰納法的に立証し、「将来もそのようなAIは登場してこない」を、演繹法的に導いたと確信しています。」
連載最終段階になってのこの一文に痺れました。たしかに、連載を読み進めるうちに、漠然としていたことが技術的にも分かってきて、そしてAIといってもその中には色々な技術があり、それらは我々が想像するようなAIではないということが分かりました。
AIが人間を超える、というような意味で使われる「シンギュラリティ」は来るのか、来ないのか。上記の著者によれば「来ない」との結論ですが、新しい技術や時にはゲームのルール自体を変えてしまうことができるゲームチェンジャーが現われて、世の中をひっくり返すことができる可能性はあります。ただ、たった今はAIという言葉に踊らされないようにする必要があると思います。まずは、一口にAIと言われたら、それは具体的にどの技術のことを指しているのかを確認した方が良いですね。
私自身は、「シンギュラリティは来る」と思っています。特にエビデンスとなるような根拠はありませんが、たとえばスマートフォンが登場する以前と今では、ほんの10年強の時間しか経過していませんが、人々の生活はまったく変わったといえます。時代は加速していて、そのスピードはさらに増していくものと思っています。それはそれで、楽しみですね。
※写真は本文とは完全に無関係ですが、グランドキャニオンの雄大な景色をお楽しみください。
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このブログを書いたスタッフ
プレジデント
ほっしぃ
音楽からMacの道に入り、そのままApple周辺機器を販売する会社を起業。その後、オリジナルブランド「Simplism」や「NuAns」ブランドを立ち上げ、デザインプロダクトやデジタルガジェットなど「自分が欲しい格好良いもの」を求め続ける。最近は「24時間365日のウェアラブルデバイス|weara(ウェアラ)」に力を注いでいる。
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